2014年3月31日月曜日

パチンコ業界の雑学 ~黙認されてきたギャンブルの歴史①~

皆さん、ご無沙汰しておりました。のま丼です。


今日は、パチンコに関する雑学をご紹介します。


なぜ、パチンコという賭博行為は摘発されないのか?


そもそも、日本中どこにでもパチンコ屋はありますが、なぜあんな賭博行為をしている店が商売としてまかり通っているのか疑問に感じませんか?


博打御法度の日本では、国会ではカジノ法案の可否に関して喧々諤々の大論争が起こっているのに、パチンコ屋はシレーっと営業できてしまうこの矛盾。おかしいと思いませんか?


今回は、この問いに答えたいと思いますが、これにはまずパチンコの歴史を振り返ってみる必要があります。


現在のパチンコは戦後の復興の中で生まれました。戦前もそれっぽいのはあったようですが・・


当然、当時のパチンコ屋も警察が所管する法律の規制にも基づき換金行為は禁止されおり、景品としてタバコやガムを交換していました。


ところが、戦後の混乱期な中、「そこらで勝手にやってる博打が摘発されないのに、パチンコだけ換金できないのはおかしい」と思うのは当然です。


そもそも換金できないギャンブルなど誰もやりません。


そこで登場するのがお決まりの暴力団です。


パチンコ屋で交換したタバコを裏口の持っていくと、パンチパーマにスラックスのおやじ(これは勝手なイメージです)がコッソリ換金してくれた訳です。


まあ当然、これは警察も知っています。


ですが、当時の社会の風潮は暴力団も一つの必要悪として認識しており、パチンコ屋も金銭を賞品として提供してはいけないという法律を守っていたので、警察も直ちに取り締まるわけにはいきませんでした。


こうしてパチンコ屋は暴力団と密接に関わりながら発展していきます。


ところが、時は経ち、焼け野原だった日本は「もはや戦後ではない」と言われるまで奇跡の大復興を遂げました。このころになると社会も繁栄し、企業は暴力団を利用しなくても十分利益を出せるようになってきます。


そうなってくると、「暴力団などといういかがわしい組織は必要ない」と手のひらを返したように社会の風潮が変わってしまいます。


おおよそ1960年代から暴力団排除の世論が強まり、これに向けて警察も動き出します。


当然、パチンコ業界も暴力団排除の為の改革を行いました。


それは換金方式の変更です。


パチンコ業界は1961年に大阪で始まった「三店方式」を取り入れました。


【三店方式の流れ】
①パチンコ屋は客に特殊景品を提供する。

②景品買取所は客から特殊景品を買い取り、現金を提供する。

③景品卸問屋は景品買取所から特殊景品を買い取り、パチンコ屋へ卸す。

④パチンコ屋はけ景品卸問屋から特殊景品を買い取り、①に戻る。

【三店方式のメリット】
①特殊景品の流通経路に景品卸問屋を挟むことにより、パチンコ屋は買取所との直接取引を行わない為、パチンコ屋が買取所に換金委託を行っていない形をとれる。

②景品買取所は特殊景品を「商品」として仕入れ、販売が可能。パチンコ屋が破綻しない限り取引先も安定している為、自身で存続できることから、パチンコ屋は暴力団と取引することなく継続的に換金行為を任せることが出来る。

③景品買取所に戦争未亡人などを雇用(仕事は客が持ってきた景品を換金するだけなので非常に簡単。雇うのは誰でもよい。)することにより、謳い文句に「社会福祉」掲げて活動できる。



当時、大阪府警は、この方式の導入により、最大の目的である暴力団排除が実現でき、かつ社会福祉にも貢献することから、事実上換金行為を黙認しました。



「三店方式」はの優れている点は、風営法の規制だけではなく、一部の都道府県の条例で規制されている「景品を買い取らせる行為(買取委託)」にも抵触しないことです。


この方式は「スタンダードかつ理想的な換金モデル」として全国的に広まり、今ではほとんどのパチンコ屋がこれを採用しています。




これが、パチンコの換金行為が摘発されない基本的な理由です。




ですが、警察の立場はあくまで「黙認」です。


「三店方式」は表面上法律に抵触しない形をとってはいますが、事実上換金行為を行っているのは明らかであり、警察庁「この仕組みは合法だ」とは絶対に言いません。


その気になれば警察は摘発の乗り出してくる可能性もあるわけです。



このように、パチンコ業界とは換金という非常にグレーな問題を抱えつつ存在しています。

20兆円産業のと言われるこの業界も、その終焉はすぐそこにあるかもしれません。

2014年3月12日水曜日

本当に不謹慎なのは誰か?

こんにちは。のま丼です。


昨日は、3月11日。

誰もが知っている東日本大震災の日。

多くの国民が亡くなった方々の冥福を祈る中、ネット界ではちょっとしたトラブルがありました。


それは、「3月11日に誕生日を祝うのは不謹慎」という主張があり、それが世論になりつつあったということです。



遺族の方からすれば3月11日は憎き日、国民全体でも死者へ黙祷を捧げると共に、天災の恐ろしさを振り返り、将来の為に防災の必要性を再確認する身の引き締まる1日だったはず。


そんな中、3月11日はおめでたい日として周りで囃し立てられれば、当然腹立たしく、「不謹慎」とも感じるのも無理のない話です。



しかし、反論派は

「元旦は弥彦神社で124人が圧死した日」

「ひな祭りは昭和三陸地震で3008人が亡くなった日」

「七夕はサイパン島玉砕の日」

などの例を挙げ「同じ理屈だとこれらの日を祝うも祝うのも不謹慎にあたる」として反論を繰り広げています。




あなたはどう考えますか?



私は前者の意見には同意できません。



後者を擁護する一般論は以下のようなものでしょう。

・その日に生まれた本人に罪はない。
・誕生日は唯一無二のかけがえのない日であり、ほかの出来事に左右されるものではない。
・過去を振り返り続けたら、すべての日を悲観的に捉えなければならない。



私の意見は少し違います。


私が前者に同意できない理由の一つは、前者の主張は自身の感情に焦点があり、批判される側への配慮が感じらないことです。


もう一つは、遺族をなくす悲しみは何ものにも代えがたいことは理解しますが、他者を批判してまで自身の感情に同調を求める行為は、自分を可愛がり過ぎているのではないかとも思えるからです。

しかし、最大の理由は、過去に固執し過ぎている意見だからです。


前者は、自身や世間の悲観的な感情に他者を巻き込もうとする考えの上に成り立っており、将来を考えた建設的な意見ではありません。


過去は忘れてはいけません。


しかし、過去に固執し過ぎては、将来の発展はの望めません。


一番大切なのは、過去に向き合い、過去を反省し、同じ過ちを犯さないために今を生きる我々が何をすべきかを考えることです。




歴史を学ぶ大切さはこの為にあります。



この考えを1つの雑学として、覚えて頂ければ幸いです。