こんにちは。のま丼です。
本日の記事はサラリーマン必見。
「日本人が自己主張しない本当の理由」を紹介します。
学生や主婦の方も是非チェックしてください。
グルーバルな社会で生き抜くためには知っておいて損はないはずです。
と、その前に・・・
以前にアップした記事の中で、発言しないことは非常に危険であることを紹介しました。
「沈黙は金?」
http://nomadon.blogspot.jp/2013/12/blog-post_9753.html
当然私も発言することを推奨する立場で記事を書きましたが、発言できない理由についての議論が成されていませんでした。
今回はその反省も含めて、「できない理由」に焦点を当ててご紹介します。
それでは始めます。
世界的に見て日本人が自己主張しない民族であることはご存知かと思います。
今のグローバルな時代では仕事上、外国人と意見を交わす機会は多く、活発な議論をしていかなければなりません。
なのに、日本人は自己主張をしない・・ 困ったものだ・・
と、外国人は考える訳ですが、それもそのはず。
アメリカ人は「沈黙は無能」と考える文化の中で育ち、フランス人は「沈黙は同意」と考える文化の中で育っているのです。
これらの民族にとって自己主張しないことは、「百害あって一利なし」と考える文化的背景がある訳です。
自己主張しないと損なのにそれでも日本人は自分の意見を言わない。
日本人に「なぜ発言しないのか?」と尋ねても明確な答えが返って来ないので、「日本人はシャイだから発言出来ない」というのが世界の共通認識です。
しかし、それでも自己主張をしない日本人には、自己主張を「是」としない文化的背景があるのです。
決して日本人が「シャイ」だからではありません。百歩譲って、そういった文化的背景によって日本人のシャイな性格が形成されてしまっているのです。
ではなぜ、日本人が自己主張をしないことに関して、説得力のある説明が出来ないのかと言うと、
その文化的背景があまりにも昔からどこにでも存在する為、日本人にとってあたりまえ過ぎること(アプリオリな概念)であり、うまく説明出来ないのです(DNAに組み込まれていると言っても過言でないレベルです)。
例えて言うなら、1+1がなぜ2になるかを説明するようなもので、ほぼ哲学的な問いに答えることと同義です。
という訳で、日本人は自己主張出来ない明確な答えを持ち合わせていないことから「シャイな日本人」に甘んじているのですが、本当はそうではないのです。
それでは、「本当の理由」を説明しますが、理由となる文化的は背景が昔から存在すると言っている以上、歴史を振り返ってみる必要があります。
(余談ですが、以下で説明する歴史は小学校の歴史の教科書に載っているレベルのものです。歴史の勉強の役立て方の一つとして受け入れて頂ければ幸いです。)
実はこの文化的背景を形成する歴史的事実の中で最も影響力があったのは、
「仏教伝来」 です。
これがすべての始まりと言っても問題ないと思います。
それでは「仏教伝来」がいかに現代日本人の文化的背景に影響を与えたか見ていきましょう。
西暦552年、百済(当時の朝鮮半島の国)の聖明王が日本に使者を送り、当時の天皇(欽明天皇)に仏像や経典などを献上したことが、仏教の公伝とされています。
※538年との説もあり。民間ではもっと早く伝わっていたそうです。←ここテストに出るよ(笑)
ここで重要なポイントは(テストに出るところではなく)朝鮮半島から伝わったということです。
もともと仏教はインドが発祥ですが、伝来のルートとしてまず中国に伝わり、朝鮮半島を経て日本に伝わりました。
これが非常にマズかったのです。
中国には「孔子」を起源とする「儒教」が紀元前の昔から存在しました。
儒教は東アジアの各国に莫大な影響力を持ち、その信仰は拡大して行きました。
当然、朝鮮半島もメインの宗教は儒教でした。
(※一応補足しておきます。儒教は思想や考え方が中心で他の宗教とは若干異なり、宗教ではないとも言われています。)
そんなところを経由して伝わった仏教は、もはや本来の仏教とかけ離れたもので、西暦552年に伝わったのは「仏教のエッセンスを取り入れた儒教」だったのです。
西暦513年に日本に「論語」が伝わっており、それが儒教の伝来とされていますが、仏を信仰対象とする形で伝わった「仏教のエッセンスを取り入れた儒教」は非常に受け入れやすかったのでしょうか、以前に伝わった儒教を吸収して「仏教」という形で日本の知識人に受け入れられ、政治や経済に利用されるようになります。
この時伝わった儒教が、今日まで残る日本人の文化的背景の基盤を形成しました。
その中で最大の影響力を持った「上下の秩序」という考え方です。
この考え方は「人は皆平等であるという意識」を無くしの差別的意識を助長することにも繋がりましたが(この辺りのことはまたに機会に詳しく紹介します)、ともかく、国民が自らの立場や位を認識し、位や年齢の人に逆らわないようにすることが、天皇を中心とする国家にとって統治しやすかった訳です。
こうして、この体制が政治の場から家庭にまで浸透し、日本人は自らの地位を相対的に認識し、それに応じて意見を言ったり、主張できる環境が極端に制限されるようになりました。
・目上の人が絶対である。
・目上の人に意見を述べることは恐れ多い。
・目上の人に従うことこそが美徳である。
・位や年が下の人間は、上の人間に従うことが当たり前。
・位や年が下の人間が、主張することは許さない。
こういった考え方を共通の認識とするコミュニティーにおいて、議論や自己主張といった行為は相手の批判に繋がりかねない為、到底受け入れられません。あるのは上から下への一方的な命令だけです。
下の人間は自らの意見を正しいと信じて主張したいことがあったとしても、そもそも上の人間に対して主張すること自体が失礼に当たるのに、その主張が間違っていようものなら何を言われるか・・
他にも、上の人間から批判や指摘されたことについては、弁解の余地はないものとされ、下の人間が正当な理由を述べてもただの言訳にしかなりません(今でもよくありますよね)。
これが日本人が自己主張をしない文化的背景を形成した最大の要因です。
補足的な要素としてもう一点例を挙げるなら、聖徳太子が制定した「十七条憲法」なども要因になりうるかもしれません。
条文にはこう書かれています。
【第一条】
「一に曰く、和を以て貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗とせよ(以下省略)」
意味としては「調和を重要視して、道理(上からの命令)に逆らったことはするな」といったところでしょうか。
これは孔子の「論語」から完全にパクった一文で、「儒教」を推奨している文です。
【第二条】
「二に曰く、篤く三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧なり。(以下省略)」
第二条では、急にコロッと変わり「仏教」を敬えと言い出します。
この辺りからも、仏教と儒教を混同して認識していることがわかります。
まあ、そこはおいといて・・次の三条は重要です。
【第三条】
「三に曰く、詔(みことのり)を承りては必ず謹(つつし)め。君をば即ち天とし、臣をば即ち地とする。(以下省略)」
「天皇の命令には必ず従え。天皇は天であり、臣下は地である。」という意味です。
この条文によって上下秩序の頂点が明確化され、それ以下の人間には絶対服従が命じられました。
こうして、調和を目的として逆らうことが許されず、人の上に人を作り人の下に人を作った憲法が制定され、自己主張など到底許されるはずのない社会を法的に作ってしまいました。
このような法整備もあって、自己主張を「是」としない文化形成を促進していきました。
仏教に名を借りた「儒教伝来」から約1500年、上下秩序を前提として育まれた文化は、先にも述べた通り現代日本人のDNAにしっかり刻まれていることでしょう。
現代のグローバルな社会において主張や議論が重要なことは誰もが認めるところです。
しかしそれは、飽くまで頭で理解しているから納得するだけです。
あなたは(特に上司や先輩に対して)自らの意見を主張する際、何か心に引っ掛かるものはありませんか?
あなたは(特に部下や後輩から)意見を言われることに、何か心に引っ掛かるものを感じませんか?
それこそが今回の題材の「答え」なのです。
最後に。
この記事は完全に私の自己主張です。
主張は議論されなければなりません。
皆さんのご意見をお待ちしています。