こんにちは。のま丼です。
昨日は、3月11日。
誰もが知っている東日本大震災の日。
多くの国民が亡くなった方々の冥福を祈る中、ネット界ではちょっとしたトラブルがありました。
それは、「3月11日に誕生日を祝うのは不謹慎」という主張があり、それが世論になりつつあったということです。
遺族の方からすれば3月11日は憎き日、国民全体でも死者へ黙祷を捧げると共に、天災の恐ろしさを振り返り、将来の為に防災の必要性を再確認する身の引き締まる1日だったはず。
そんな中、3月11日はおめでたい日として周りで囃し立てられれば、当然腹立たしく、「不謹慎」とも感じるのも無理のない話です。
しかし、反論派は
「元旦は弥彦神社で124人が圧死した日」
「ひな祭りは昭和三陸地震で3008人が亡くなった日」
「七夕はサイパン島玉砕の日」
などの例を挙げ「同じ理屈だとこれらの日を祝うも祝うのも不謹慎にあたる」として反論を繰り広げています。
あなたはどう考えますか?
私は前者の意見には同意できません。
後者を擁護する一般論は以下のようなものでしょう。
・その日に生まれた本人に罪はない。
・誕生日は唯一無二のかけがえのない日であり、ほかの出来事に左右されるものではない。
・過去を振り返り続けたら、すべての日を悲観的に捉えなければならない。
私の意見は少し違います。
私が前者に同意できない理由の一つは、前者の主張は自身の感情に焦点があり、批判される側への配慮が感じらないことです。
もう一つは、遺族をなくす悲しみは何ものにも代えがたいことは理解しますが、他者を批判してまで自身の感情に同調を求める行為は、自分を可愛がり過ぎているのではないかとも思えるからです。
しかし、最大の理由は、過去に固執し過ぎている意見だからです。
前者は、自身や世間の悲観的な感情に他者を巻き込もうとする考えの上に成り立っており、将来を考えた建設的な意見ではありません。
過去は忘れてはいけません。
しかし、過去に固執し過ぎては、将来の発展はの望めません。
一番大切なのは、過去に向き合い、過去を反省し、同じ過ちを犯さないために今を生きる我々が何をすべきかを考えることです。
歴史を学ぶ大切さはこの為にあります。
この考えを1つの雑学として、覚えて頂ければ幸いです。