今日は急に普段と違う雰囲気を出してみたくなったので、文調を変えてみたいと思います。
諸君、如何お過ごしだろうか。
本日は、この手記の目的、即ち『雑学ライフ』のコンセプトを紹介しようと思う。
ブログで扱う題材がなぜ『雑学』なのか。
雑学の有用性については既に
『雑学の知識は役に立つのか?』
http://nomadon.blogspot.jp/2013/12/blog-post_18.html
で述べた通り、その効用は理解頂けたかと思う。
しかし、有用性があるからといってそれがブログで取り扱う理由には成り得ない。
私はこのブログを始める前は、常々何を題材にするかモンモンと悩んでいたのだが、ある時、一つの単語に興味を持った。
その単語とは、「オワコン」だ。
ご存じの通り、オワコンとは「終わったコンテンツ」を指す言葉である。
危うく辞書にも載りそうになったこの言葉は、栄枯盛衰、盛者必衰、日本人の持つ「無常観」を示すが如く、日夜目まぐるしく変化するこの情報世界に於いて、バッサリと「オワタ」の烙印を押す。
「このブログは終わってはならない!」
そこで、『雑学』が登場する。
雑学は古今東西ありとあらゆるものを取り扱うことが出来る。
また、この情報世界に蔓延る流行りや小手先のテクニックで仕上げられた知識と異なり、一歩引いた目線から物事を捉え、万物に批判を浴びせる事さえ可能となる。
ややもすると、原理主義的な様にも捉えられがちではあるが、逆に考えると、そこには一生モノの知識が存在することになる。
このブログに於いて私は、飽くまで「基本的」にという前置きが付くものの、「普遍的な知識や考え方」を紹介したいと考える。
勿論そこには私なりの考え方が存在する為、(意図的にという場合も含めて)客観性からかけ離れた捉え方をしているケースもあるだろうが、それはそれで紹介する過程を楽しんで頂きたい。
という訳で、この『雑学ライフ』が目指す形は「終わらないコンテンツ」である。
十年後、二十年後、諸君らが「おッ!どっかで見たな。」などと言いながら、再度このブログを訪れてくれることを願って止まない。
欲を言えば、五十年後、校庭で書物の代わりにiPadを持った二宮金次郎像がこのブログの記事を読んでいてほしいものだ。
【余談】
ところで、「オワコン」に対抗して「終わらないコンテンツ」示す言葉は何かないものか・・
(ブログのサブタイトルあたりで使いたい)
今のところ、これといった言葉は存在しないらしい。
巷では、「トレンド」という言葉が候補に挙がっているそうだが、私が目指すところの「終わらないコンテンツ」とは馴染まない。
では単純に「エンドレスコンテンツ」というのはどうだろうか。
略して「エンコン」!
えんこん・・・
怨恨・・・
響きが悪い(-。-)
良い案があれば是非コメントを!